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・・・・・ 一つの信念が、今のIT社会を生んだ ・・・・・
 当社の創業の原点は大正12年(1923年)にさかのぼる。
 当時、創業者 吉澤 審三郎は三井物産 機械部に席をおき、政府の命と当時の上司、石田 礼助の指示を受けて欧米へ機械式統計機械の調査に出向いた。
 米国では国勢調査の統計処理上、そしてデモクラシーの基盤を支えるシステム(大統領選挙の基幹システム)として既に登場し実用化されていた。
 その際、米国にてパワーズ式統計機械(現ユニシス)とホレリス式統計機械(現IBM)を研究、パワーズ式統計機械を推し、総理府統計局、横浜税関、鉄道省(現JR)へ日本初の統計機械システムを導入した。
 大正12年8月31日の事であった。(関東大震災前夜に機械を積んだ船は横浜へ入港した。)
 戦後、昭和22年、財閥解体に伴い、吉澤 審三郎は独立しレミントンランド ・ユニヴァック社の日本総代理店 吉澤会計機株式会社を設立。昭和33年まで東京証券取引所、防衛庁、証券会社、電力会社などへ導入、普及啓蒙に勤めた。
 その後、CPUは国家的事業ということで、周辺機器システムの市場へビジネスのスタンスを移行し、吉沢ビジネス・マシンズ(株)として、日本で初の漢字システムの開発、日本初の図形システム(米国カルコンプ社)の輸入販売、啓蒙普及を行う。
 又、メーリングシステムのドイツからの輸入販売を昭和37年より開始し、日本国内にてNTTや電力会社をはじめ、2500社へ、4000台を導入した。
 その途上(昭和59年)に設立されたのが当社の前身である株式会社CGCCで図形処理専門のソフト開発及びシステム・コンサルティング会社であった。
 (株)CGCCの機能は、吉沢ビジネス・マシンズがCADシステム事業を展開する際、コンサルティング機能のみを残して、他は統合した。
 平成13年、この株式会社CGCCを衣更えし、新たに株式会社エフ・エム・エスとして吉澤会計機(株)、吉沢ビジネス・マシンズ(株)の基本理念である、
「進取の気概と先駆者の使命」を受け継ぎ、従来の市場と経験をベースに
「ITソリューション・インテグレーター」として新たに出発することになった。
 

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吉沢グループ各社の沿革と年表

1923年 わが国最初のPCS(パンチカードシステム)を吉澤審三郎(元会長)の手により日本に導入。(総理府統計局、横浜税関、鉄道省へ導入)
1938年 PCSカード用紙の国産化に日本で初めて成功。
1947年 吉澤審三郎、吉沢会計機(株)を設立。
1948年 ユニヴァック社のPCS・電算機の日本総代理店となる。
1951年 吉澤幹夫(前会長)吉沢会計機(株)に参加。
1955年 日本最初の商用コンピューターUNIVAC120を東京証券取引所へ導入。
野村証券、気象庁、東北電力、中部電力、防衛庁等へ相次いで納入。
PCSと漢字システムを連結、IDP方式の啓蒙・導入。
1958年 代理販売権、従業員を日本ユニヴァック(現日本ユニシス)に移譲。
1961年 ドイツ、ベーヴェ社の日本総代理店となる。
1964年 吉沢ビジネス・マシンズ(株)を吉沢企業(株)の持株親会社とし、
日立製作所と合弁で設立。
吉澤審三郎 日本の事務合理化に貢献、藍綬褒章を授与される。
コンピュータ・グラフィックスの技術研究・啓蒙活動を始める。
1967年 米国カルコンプ社(図形出力システム)の総代理店となる。
1968年 吉澤審三郎、経営近代化功績により勲四等瑞宝章を授与される。
1969年 日立製作所と関係強化。(昭和48年まで日立は資本参加、以後独立系)
1970年 日立製作所(42名)、日立DECO(221名)、吉沢ビジネス・マシンズ(82名)、日立芝電商事(12名)計357名で日立ソフトウエアーエンジニアリング(株)を設立。
1971年 日本で初の図形COMの導入、啓蒙・販売活動開始。
1972年 吉澤会計機(株)が北川宗助氏創業のNID社設立に際し資本参加。(平成14年店頭公開)
1975年 第一勧業銀行の意向により、日本で初のCOMシステムのセンター(株)ワイビーエム・コムス・センター(YCC)を設立。原子力研究所、動燃、鹿島建設などへ納入。
吉沢ビジネス・マシンズ(株)、NBC(現日立情報)に出資参加。
1978年 グラフィク・ターミナル・システムの販売開始。YBM、三井造船、旭化成とグラフィックシステムの共同開発。
1979年 静電プリンター、プロッター販売開始。
1980年 カルコンプ社が離反、新日鉄カルコンプを設立。
1981年 セイコー電子工業の自動製図システムの販売代理店となる。
1982年 JCGA(日本コンピューターグラフィック研究会)設立メンバーとなる。
1984年 技術系ソフトウエアーハウス、(株)CGCCを設立。
理化電機工業のプロッター販売代理店となる。
郵政省殿より高速メーリングシステムを受注、東京、大阪へ納入。
1985年 吉澤審一、富士通を退社し、吉沢ビジネス・マシンズ、CC、CGCC、ISS、総研等へ参画。
富士通の高速レーザープリンターF6700用APAシステムを共同開発、
一号機を中部電力殿へ納入。富士通へOEM供給開始。
1986年 (株)CGCC 、SUN EWS販売開始。
(株)リコー、日揮(株)と共同で、東京電機大学 国井教授の指導を得て、オブジェクト指向システムの導入、普及を開始。
1987年 (株)CGCC、 東京工大へEWSを100システム導入。
ベーヴェAPA研究会設立。初代会長PUC布川専務理事就任。(第一回海外視察団派遣)
1988年 吉沢企業(株)、吉沢グループ集結の為に虎ノ門にYKKビルを新築。
1989年 ユーザーオリエンテッドCADシステム「すぐ・きゃど」発売開始。(平成元年)世界60ヶ国によるプリントアウトシステムに関する国際会議 を日本にて吉沢ビジネス・マシンズ(株)が主催、吉澤審一が議長となり 開催。
ドイツ・アウグスブルグ市の名誉市民となる。
1990年 東日本JRより「SUGCAD」1500台一括受注、同時に30万枚の図面入力を納期3年で請負う、総額70億円。
YCCの管理下のもと、「すぐ・きゃど」入力センターを本郷に開設。
1991年 吉澤審一、吉沢ビジネス・マシンズ(株)の代表取締役社長に就任。
(株)ワイシーシーを「YBM CREATIVE COMPUTECH」とする。
1993年 北海道電力殿、東北電力殿よりYBMが大型メーリングシステムを受注。
1994年 関西電力殿より高速料金請求メーリングシステムを受注
1995年 NTTより料金センターの封入封緘システムの国際入札で35億円の一括受注。(46システム)(阪神淡路大震災)
ベーヴェシステム累積7000台納入達成。
1996年 NTTの各センターへ順次導入開始。APA研究会設立10周年記念。
1997年 吉澤幹夫会長死去。(3月)NTTセンター7月本番開始。
1998年 NTT第二次調達分を国際入札で13億円一括受注。(6月)
10月、YBMのベーヴェ事業部門をドイツ・ベーヴェ社へ事業譲渡。
ベーヴェ・吉沢システック ジャパン開設。
1999年 YCCと吉沢企業(株)合併。
2000年 YBMのCAD事業を(株)ワイビーエムへ移譲。
虎ノ門YKKビル、東京都道路事業用地として都へ譲渡。
2001年 株式会社CGCCを株式会社エフ・エム・エスと商号を改称、体制も一新し、吉沢グループの歴史的起業理念の下、情報処理ITにおけるコンサルティング事業を主軸として新規出発。(12月)
ITI社と日本初のDB自動正規化ツール「IT_DOA .RAD 」で販売提携
2002年 旧日本シップス(株)より大宮サーヴァーセンター事業の移管を受ける。
DOA手法と日本初のDB自動正規化ツールを用いてシステム開発の工期と開発費の大幅削減を実現。(設計工期:5分の1、費用:2分の1)
日本インサイトテクノロジー株式会社と業務提携。
2003年 株式会社情報技術開発と業務提携。
GAP株式会社 開発の「言語意味処理AIシステム」の開発・マーケティング・拡販で支援契約を締結。
2004年 NTTコム、ソラン、FMSの三社連合にて、自治体DBのアセスメントプロジェクト開始。各務ヶ原市の統合に伴うDB統合のコンサルティングを実施。
「意味処理AIシステム」の受注活動の本格化、受注実績初年度。
「意味処理AIシステム」SBエンジンの第一号を大手ネット・プロバイダーより受注。
2005年 GAP社製「SBエンジン」を核とするナレッジ・AIシステムの本格的拡販開始 〜検索・抽出エンジンとテーブルライク(プログラムレス)RDBの組み合わせによる、(自由文検索と意味・意図ナレッジDBの組合せによる)世界初のナレッジ・システム〜
2006年 SYNCPLUS社と販売代理店契約
 ブラウザの共有による、ネットの1対Nから1対1のコミュニケーションへ、ヴァーチャル・コミュニケーションからリアル・コミュニケーションへの展開ツール。セキュリティー性も万全な世界初のコミュニケーション・プラットフォーム。
 <第一号ユーザー、機械保守サービス会社へ導入(4月)>
自治体システム再構築コンサルティング事業の本格化
NTTデータ社の下で、ベテラン経験者による受託コンサルティングを開始、都内23区で実績。
2007年 「FMS築地IT総研」を設置し、J−SOX法、内部統制におけるIT統制を合理的に進めるための研究とコンサルティングを開始。
DOA手法によるデータベース一元化構造の設計によるIT統制の啓蒙・普及を開始。
6月:次世代型オン・メモリー・データ・プロセッシング・システムの管理システム「スーパーサーチ」の拡販を開始。
「スーパーサーチ」によるDOA手法の、簡便化・一般化を実現、システム開発手法に画期的な工期短縮と精度の向上、開発費の低減(50%以上)をもたらす。
 特に、大容量データでの高速検索、抽出、及び大規模データベースの正規化、統一化、移行作業に注目を集める。
同時にオン・メモリーデータ・プロセッシング「スーパーサーチ」を活用した、「情報資産管理状況評価コンサルティング」、「データ移行・統合コンサルティング」をビジネス化しコンサルティング・サービスを開始する。
2008年 逼迫化するIT人材を組織的に且つ優秀な人材を日本的な習慣・文化の下で提供する。
持株会社は中華人民共和国の北京大学、ここより北京大学の卒業生を含む、中国全土からの優秀な大学卒業生を再教育し即戦力IT技術者人材として、提供する。
 人材派遣とオフショア型受託開発の両方が可能。
6月:「日本ソフト開発株式会社」とオンメモリーデータ・プロセッシング・システムを軸とした、「データベース・イノベーション・ビジネス事業」の展開で事業提携。
2009年 3月:日本ソフト開発(株)と共同でオンメモリーデータ・プロセッシング・システムを基盤にした究極のオン・ディマンドEUCシステム「スーパー・リアリズム」を開発、共同で拡販事業の展開を開始、新聞発表。
 
  <出典>:「日本の事務機械化史」社団法人日本経営協会、「コンピュータの歴史」横山保著 中央経済社、「日本経営機械化史」米花稔著 日本経営出版会、「ユニバック30年のあゆみ」日本ユニバック(株)、「NBC25年史」日本ビジネスコンサルタント(株)、「十年の歩み」日立ソフトエンジニアリング(株)、「NTTの10年」NTT、「CSS20年史」中電コンピューターサービス(株)、「情報産業この道60年」北川宗助著、「原点」吉沢ビジネス・マシンズ(株)、政府官報 平成7年4月調達公示公告  以上